
遺産分けの無責任な約束
「あぁ…、またこのトラブルだ・・・。」
先日、お客様から頂いたご相談。
ある近しい存在の方が亡くなった。
生前、「私が亡くなったら、遺産の一部はあなたに遺すからね」と言われていた。
間違いなく、そう言っていた。
それなのに残されていた遺言書には、それが書いてなかった。
どうしても腑に落ちない。
もしかしたら誰かに指図をされて書かされたものじゃないのか?
どうにかならないものでしょうか?というご相談内容です。
お話を伺っていると、ご相談者は経済的に困っている様子などまったく無く、故人の遺産目当てで言っているわけではありません。
あくまで気持ちの問題。
故人の財産を管理する方の対応や在り方に納得がいかない、故人との数十年来の関係をないがしろにされている、非常に残念で気持ちの整理がつかない、という想いが溢れてのことでした。
お話を伺っていくうちに私も感情移入をして、とても悲しい気持ちになりました。
遺言書の内容がすべて
ご相談者の気持ちは、とてもよく分かります。
亡くなった方からはお話を聴けていないので分かりませんが、本当に遺贈したい気持ちがあったかも知れません。
しかし遺言書にその旨の記載がなければ、記載内容に従って遺産の行き先が決まるのです(内容に不服があるなら相続人間で協議は可能)。
生前に遺産の行き先について熟慮した上で遺言書を作成したのなら、それが故人の本意なので他人が口を挟むことではありません。
遺産は個人が自由に処分をできる、というのが原則ですから。
しかしあまり深く考えずに作成したとか、遺言書の内容を誰かにコントロールされていた、ということだと相続トラブルに発展していくのです。
遺言書はトラブルの素
実はこのようなトラブルはよくあることで、相続が争族に発展する典型的な例です。
たまに分かったフリをして「遺言書があれば相続トラブルを防げます」なんて言う人がいますが、そんなの大ウソです。
そんなアドバイスをする専門家の意見などは信用してはいけません。
むしろ記載内容によっては、かえってトラブルの素でしかないです。
遺言書のメリットは、「遺産相続で揉めても手続きが進められる」というところです。
相続人たちの感情は別として、法律に従い粛々と行き先が決められるということです。
勘違いをしないでくださいね。
無責任なことを言わない
もうひとつ気を付ける点。
安易に「遺産の○○をあげる」なんて言わないこと、です。
批判を覚悟の上で言いますと、
遺言書に書かないのなら発言すること自体が無責任だ、と私は思っています。
わざわざ争いの素を相続人や関係者に残すだけです。
ちょっと想像してみて下さい。
遺産分けの話し合いの席で、「生前に○○はお前にあげる」と言われていた、と主張する人が何人も現れた場面を。
そんなの聞いてないぞ!って反論が出ることが、容易に想像できるでしょう。
あげるよって言われた方のことを考えてみて下さい。
期待しちゃいますから。
○○が亡くなったら、いくら(あれが)もらえるんだな、って。
もしも遺贈先を言うのなら
もしも生前に遺産の行き先を特定の人に言うのなら、
相続関係者全員の前で言う
遺言書に書く、その理由も
を徹底すべきです。
それが争いを防ぐ、ひとつの方法です。
相続で悲しむ人を減らしたい
冒頭のご相談者も、相続をきっかけに悲しみを味わってしまったひとりです。
あってほしくはないですが、それまでの故人との良き思い出が消え失せて、新たに憎しみの気持ちが発生してしまうかも知れません。
こんなのって、お互いに不本意だと思いませんか?
人はいつか必ず亡くなります。
いつか必ず相続を迎える日が来る、ということです。
いままでの良き思い出はそのままに、ギクシャクした関係があったのならそれを修復するために。
そんな相続を迎えられる人がひとりでも多く増やせたら、と思い毎日を過ごしています。
それが私の存在意義であり、ミッションでもあるからです。